何のために書くのか

何のためにココロの遺言を書くのか。おおざっぱには、他人のため、自分のために分けて考えることができます。

まずは、他人のため。

家族など身近な他人でも、心のうちをすべてさらけ出すということはありません。誰かが亡くなってから、「もっとあのことを聞いておけばよかった」という悔いに似た気持ちを覚えた経験はみなさんおありでしょう。そうした思いをできるだけさせないためというのが一つ。

次に、自分が亡くなったあとも生き続ける人のために、支えや励ましとなる言葉を遺してあげるということ。死んでしまったらそれ以降、言葉を発することは(通常)できません。けれども生前に言葉を遺しておけば、故人を知る者は時折それを反芻することができます。いない寂しさが消えるわけではありませんが、言葉があればいくらか前を向いていきていく支えとなるのではないでしょうか。もちろんこれは、わざわざ「ココロの遺言」として書かれたものでなくても、生前の何気ない一言だってその役割を果たし得ます。

ココロの遺言を書くことは、自分自身のためでもあります。

何かを書くと言うことは、自分の心を見つめ、それまでの人生を振り返らせてくれる効果があります。それを言葉にすることで、新たな気づきや発見があることでしょう。

また、言うべきことをきちんと遺しておくことは死ぬ際の後悔を減らしてくれるはず。言葉にしておくことで、いくらかは安らかに死へと迎えるのではないでしょうか。

これは厳密な統計的根拠があるわけではないのですが、遺言など死の準備をきっちりする人は案外長生きするというジンクスがあります。死というできれば避けたい現実をも直視できる強さや前向きな姿勢が、寿命を延ばす方に作用するためと考えられます。死に備えることは死に急ぐことではありません。今あるこの生を、さらに輝かせるための営みなのです。